​【クマの次は行政か?】『緊急銃猟』はなぜ機能しないのか?人命を置き去りにした『あいまいなルール』の代償

人里に下りてきた熊に狙いを定めるハンター トレンドニュース

​はじめに:人里に迫る脅威と、機能しない対策

​近年、ヒグマの出没は、もはや山間部だけの問題ではありません。都市部の住宅地や、通学路にも姿を現し、私たちの生活に現実的な脅威を与えています。

​この深刻な事態に対し、国は「緊急銃猟」という制度を新設しました。しかし、この制度は始まる前から暗礁に乗り上げています。北海道猟友会は、制度の「あいまいさ」を理由に、ハンターの“発砲拒否”を容認する通知を出したのです。

​「人命を最優先にすべき」という多くの人の願いに反し、なぜ、命を守るはずの制度が機能しないのでしょうか?本記事では、ニュースの裏側にある、人命とルールがぶつかり合う、深刻な構造的問題を考察します。

『リスクを負うのはハンター』という現実

​ヒグマ駆除の最前線に立つのは、猟友会のハンターたちです。しかし、彼らは今回の制度に対し、「リスクだけを負わされている」と感じています。

​法的な責任と刑事罰のリスク

​・市街地での発砲は、予期せぬ事故を引き起こす可能性があります。もし、発砲した弾が人や家屋に当たれば、ハンターは多額の賠償責任を負い、銃の所持許可が取り消され、刑事罰を受ける可能性もあります。

​・国や行政の回答は「個別の事案ごとに判断する」という、非常にあいまいなものです。これは、何か問題が起きた際に「自己責任」として、ハンターにすべての責任を押し付ける姿勢だと解釈されても仕方がありません。

​命の危険に対する『補償なき推奨』

​・ヒグマ駆除は、常に命の危険と隣り合わせです。しかし、国はハンターが負傷した場合の補償について、「市町村に推奨する」というにとどまっています。

​・これは「強制ではない」ということです。つまり、命をかけて出動しても、怪我をしても補償されない可能性があり、ハンターにとって大きな心理的負担となっています。

『人命よりルール』を行政は優先しているのか?

​猟友会の反発の根底にあるのは、「人命を守る」という大原則より、「責任を回避する」ことを優先しているように見える、行政の姿勢です。

​あいまいなルールは『責任逃れ』の証左

​・行政は、具体的なガイドラインを定める代わりに「現場の判断」という言葉を使います。しかし、これは聞こえの良い言葉ですが、実態は**「判断の責任をハンターに委ねる」**ことを意味します。

​・本当に人命を最優先するなら、行政は万が一の事態に備え、明確な責任の所在と補償制度を確立すべきです。それができないのは、リスクを負いたくないという、行政側の論理が働いているからだと言えるでしょう。

​緊急事態に対応できない『お役所仕事』

​・札幌市のヒグマ防除隊長の「皆で推敲しながら、議論を高めてから発砲するべき」という発言は、危機管理の根本的な欠陥を露呈しています。ヒグマが市街地にいる状況は、一刻を争う緊急事態です。議論している間に、命が失われるかもしれません。

​・これは、日本の行政が、マニュアルやルールに縛られ、緊急事態に迅速かつ柔軟に対応できない「お役所仕事」の典型例と言えるでしょう。

​誰が、そして何を、守るべきなのか?

​この問題の責任は、誰にあるのでしょうか?

​事業者に責任を押し付けたメガソーラー問題と同様に、この問題もまた、「曖昧なルール」という構造的な問題が人命を危機に晒していると言えます。

​動物愛護か、人命か、という矮小化された議論

​・ヒグマ問題の議論は、しばしば「動物愛護か、人命か」という二元論に矮小化されがちです。しかし、本当に問われるべきは、**「人々の安全と生活を守るために、行政はどのような責任を果たすのか?」**という点です。

​私たちの生活環境を守るために

​・安心して暮らせる生活環境は、国民の基本的な権利です。この権利を守るため、行政にはリスクを明確化し、責任を負う覚悟が求められます。

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​まとめ:『明確なルール』こそが、人命を救う

​人里に下りてきたヒグマを駆除するという判断は、人命と生活環境を守るために必要な決断です。しかし、その決断を担うハンターが、法的なリスクや補償のあいまいさに不安を感じ、動けないでいるのが現状です。

​この問題の根本原因は、ヒグマでも、ハンターでもありません。それは、**有事の際に責任を負う覚悟を持てない行政の「あいまいなルール」**です。

​人命を最優先する社会を再興するために、私たちはこの問題に関心を持ち、行政に対し、明確な責任の所在とルール作りを求めていく必要があります。

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