こんにちは、ヤヌスです。
全国でクマによる人身被害が相次ぎ、ついに和歌山県がツキノワグマの政策を従来の「保護」から「管理」へ転換することを決定するなど、危機意識が高まっています。
しかし、この危機はなぜ、ここまで深刻化したのか?
その根源には、専門家が指摘する「生息数の過小評価」と「個体管理の不備」という、行政の長期的かつデータ管理における決定的な怠慢があります。過去の「絶滅の危機」というデータに囚われ、現在の「森林飽和」という環境変化に対応できなかった、行政の危機管理の構造的な欠陥を徹底的に批判します。
この記事でわかること(行政の長期的な怠慢):
- ・「絶滅の危機」という過去のデータに固執し、現在の生息数を過小評価し続けた行政の怠慢。
- ・「マイクロチップ・学習放獣」を成功させた兵庫県と、「高精度データなし」で管理を放棄した東北の決定的な違い。
- ・戦後の植林政策と「森林飽和」という環境変化への長期的視点の欠如。
1. 危機管理の根幹を揺るがす「生息数の過小評価」
危機管理の第一歩は、脅威の規模を正確に把握することです。しかし、東北地方のクマ対策においては、この最も重要な「生息数」の把握が決定的に失敗していました。
1-1. 「過去のデータ」に縛られ続けた行政
ツキノワグマは、大正から昭和初期にかけての乱獲や、戦後の広葉樹の減少などにより、かつては「絶滅の危機」に瀕していました。環境省も2012年には九州での絶滅を発表しています。
しかし、兵庫県立大学の横山真弓教授は、東北地方について「生息数を過小評価し続けてきたのでは」と分析しています。西日本のように特別な施策の必要が無かったため、「増えているのか高精度なデータがないまま」人里に出たクマを捕る状況が続いていたのです。
つまり行政は、「絶滅危惧種」という過去の成功体験(または危機意識)のデータに縛られ、現在の生息数の急増という現実の脅威データを長年にわたり無視し続けたのです。このデータ管理の怠慢が、現在の甚大な被害の根本原因です。
1-2. 兵庫モデルと秋田の「桁違い」な管理の失敗
西日本は早くからクマを保護・管理の対象とし、特に兵庫県では、捕獲したクマにマイクロチップを埋め込みデータ収集に努め、唐辛子スプレーによる「学習放獣」を導入しています。その結果、兵庫県は100頭まで減少した生息数を800頭まで回復させ、「絶滅させず増えすぎない」管理を成功させています。
一方、高精度なデータがないまま管理を怠った秋田県では、推定生息数が2016年度の約1000頭から、2020年度には約4400頭と4倍以上に急増しています。横山教授が指摘するように、800頭で管理する近畿圏ですらドングリ凶作で大量出没する中、4000頭超の秋田県では「もう誰もどうすることもできないぐらい出没してしまう」状況にあるのです。
この桁違いの生息数の差は、「個体管理」に対する行政の意識と長期的な投資の有無が、どれほど重要であるかを雄弁に物語っています。
2. 長期的視点欠如が招いた「森林飽和」のツケ
行政の怠慢はデータ管理だけに留まりません。戦後の植林政策と現在の森林放置という、長期的な環境政策の構造的な失敗も、クマの異常出没を後押ししています。
2-1. 広葉樹の減少と「森林飽和」
明治期から戦後にかけての乱伐後、日本で植樹されたのは主に針葉樹でした。クマの主食であるドングリが実る広葉樹が減少し、クマの生育環境が悪化したことが、かつての個体数減少の一因です。
しかし現在、国内の森林は約半数が広葉樹林帯となって回復し、木材需要の低迷から手入れが行き届かない「森林飽和」の状態にあります。横山教授は、この放置された森林が「鳥獣にとってこの上なく住みやすい環境」だと指摘します。
乱伐と過度な植林、そして需要低下による放置という、行政の長期的な森林政策の場当たり性が、結果としてクマを人里に押し出す環境を作り出してしまったのです。
3. まとめ:過去の成功体験とデータ不備が招いた構造的欠陥
今回のクマ大量出没は、過去の「絶滅の危機」というデータに固執し、「現在の生息数という危機管理の根幹データ」を正確に把握しようとしなかった行政の構造的怠慢が招いた結果です。そして、その怠慢は、長期的な森林政策の失敗とも連動しています。
「高精度なデータなし」で問題を先送りし、「誰もどうすることもできない」状況を招いた行政の責任は極めて重いと言えます。私たちは、行政に任せきりにせず、兵庫県のように「増えすぎない」ための「戦略的な個体管理の義務」を強く求めていく必要があります。
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