こんにちは、現役ドライバー歴7年、70歳のヤヌスです。
高齢ドライバーによる痛ましい交通事故のニュースを見るたびに、社会の議論は「免許返納」や「個人の判断能力の低下」に終始します。しかし、私のような現場で働く高齢ドライバーから見ると、これは問題の本質から目を逸らした「構造的な責任逃れ」に他なりません。
問題の核心は、高齢者が低賃金で長時間働き続けざるを得ない「経済的構造」と、企業がそのリスクを放置し、社会全体に転嫁している「構造的放置」にあります。
この記事では、高齢ドライバーの事故を招く社会と企業の裏側を鋭く分析し、事故を起こす側ではなく、起こさせないための「危機管理」の戦略を提示します。
この記事でわかること(高齢ドライバーの危機):
- ・高齢ドライバーが働き続けざるを得ない「年金・再雇用制度」の経済的構造。
- ・企業が「事故リスク」を放置し、社会に転嫁するビジネスモデルの構造。
- ・事故の責任を「個人」に押し付ける議論の危険性と、真の責任の所在。
- ・事故リスクを回避し、安全に稼ぎ続けるための戦略的選択肢。
1. 事故の背景にある「高齢者を酷使する構造」
高齢ドライバーの事故の増加は、個人の健康問題ではなく、社会経済の構造的な歪みが原因です。
1-1. 経済的な理由から運転せざるを得ない現実
定年後の年金受給額の不安定さや、「在職老齢年金制度」による年金カットなど、経済的な不安から高齢者は低賃金でも長時間働き続けざるを得ません。疲労が蓄積した状態での運転は、事故リスクを大幅に高めますが、これは個人の意志だけで解決できる問題ではありません。
1-2. 企業が負うべき「リスク管理」の構造的放置
企業は、経験豊富な高齢ドライバーを「低賃金で確保できる戦力」として利用しながら、その健康や事故リスクに対する十分な投資(休憩時間の延長、健康診断の強化、ルートの限定など)を怠っています。事故が起きた際、責任を「加齢による判断ミス」に帰結させることで、自らの構造的な放置責任を免れているのです。
1-3. 「免許返納」議論の裏側に潜む責任逃れ
社会の議論が「免許返納」に集中することで、高齢者にリスクを負わせている「年金制度」や「企業の再雇用制度」といった**根本原因**への批判が弱まります。これは、社会全体でこの構造的な欠陥から目を逸らそうとする責任逃れのメカニズムです。
2. 事故リスクを招く「職場の構造的欠陥」
特にタクシーや物流の現場には、高齢ドライバーの事故リスクを高める構造的な欠陥が存在します。
2-1. 高齢者ほど強いられる「長時間・深夜」の勤務
経験が長い高齢ドライバーほど、人手不足の現場で「深夜帯」や「長時間労働」を暗に、または明示的に要求されることがあります。これは疲労による認知機能の低下を決定的に招き、事故リスクを最大化させます。
2-2. 事故は「加齢」ではなく「疲労」と「低賃金」の複合的結果
高齢者の事故は「加齢」のせいだとされがちですが、実際は「低賃金だから休めない」→「長時間労働になる」→「疲労が溜まる」→「判断力が低下する」という、**低賃金構造が引き起こす複合的な結果**です。
3. 事故リスクを回避し、安全に稼ぎ続けるための戦略
高齢ドライバーが事故の「無策の犠牲者」にならないためには、企業依存から脱却し、主体的な危機管理を行うことが不可欠です。
3-1. リスクの高い「低賃金労働」からの戦略的転換
長時間労働を強いられ、低賃金で疲弊する職場から、休憩や健康管理に十分な余裕を持つことができる「高付加価値な移動」の仕事へ、戦略的に転換すべきです。
3-2. 企業の「高齢者リスク管理体制」を見極める
転職する際は、「高齢者でも働ける」という言葉だけでなく、「具体的な健康管理体制」「休憩・勤務時間の柔軟性」といった、企業が**高齢者の安全を確保するためにコストをかけているか**を徹底的に見極める「危機管理の視点」が必要です。
💰 まとめ:安全は「個人の判断」ではなく「社会の構造」で守る
高齢ドライバーの事故問題は、個人の免許返納で解決するほど単純ではありません。高齢者が経済的な不安なく、安全に休める環境を、社会と企業が責任を持って作るべきです。
ドライバー自身が事故の犠牲者にならないためには、リスクを放置する企業から脱却し、高い単価で安全に稼ぎ続けられる職場を選ぶという、主体的な「危機管理の選択」が最も重要です。
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