夏の甲子園で、左手の指が欠損しているハンディを乗り越え、躍動する県岐阜商の横山選手に多くの人々が胸を打たれています。彼の活躍は、単なるスポーツの勝利だけでなく、私たちに「諦めない心」の大切さを教えてくれています。
彼の活躍の裏には、多くの人が知らない、ある真実の物語がありました。それは、ヤフーニュースにも掲載された、前監督に送った一通の**「外野手転向直訴」**のメールです。
本記事では、このメールに込められた強い意志と、前監督が称賛する「次元の違う努力」に焦点を当て、横山選手の真実の物語をお話しします。
「左指がない」という逆境と「直訴」という決断
横山選手が背負っている「左手の指がない」というハンディは、野球というスポーツにおいて、どれほどの困難を伴うか、想像に難くありません。
彼は愛知・江南ボーイズでは投手として活躍し、県岐阜商でも投手として入部しましたが、思うように活躍できない日々が続きました。
そんな中、監督のもとに一通のメールが届きます。送り主は横山選手でした。
〈夜遅くすみません。自分は今ピッチャーをやっています。しかし、今の自分のレベルでは中々ベンチに入れないと思います。中学生の時に野手もしていました。自分はピッチャーよりバッティングの方がハンデは大きいと思いますが、バッティングに自信があります。なので、外野手として挑戦したいです〉
前監督が認めた「力強い決意」
このメールの文面には、彼の力強い決意が込められていました。この文面から、監督は横山選手の強い意志を読み取り、外野手転向を快諾しました。
これは単なるポジション変更の相談ではありません。それは、自らの弱さと向き合い、大きな壁に挑むという、彼の強い決意表明だったのです。この決断が、彼の野球人生を大きく変えることになりました。
前監督も称賛する「次元の違う努力」
1年生の11月に野手として再スタートを切った横山選手は、その後、目覚ましい進化を遂げます。
「筆舌に尽くしがたい」たゆまぬ努力
前監督は、横山選手の努力を「筆舌に尽くせない内容」と称賛しています。昼夜バットを振り続け、そのスイングスピードは、Aチームの基準である140キロに迫るほどにまで成長しました。
また、右手にグラブをはめて捕球し、素早く持ち替えて投げるという技術も、たゆまぬ努力の積み重ねで築き上げられました。
中学生の時はグラブを左手首にくくりつけていましたが、高校の規則に合わせて、右手で捕球して素早く持ち替える技術に進化させました。
前監督は、その技術を「健常者のプレーとスピード差はない」とまで評価しています。
「片腕のメジャーリーガー」との共通点
横山選手の活躍は、アメリカの伝説的な野球選手、ジム・アボット投手を彷彿とさせます。彼は右腕が生まれつきないというハンディを乗り越え、メジャーリーグのマウンドに立ち、ノーヒットノーランという偉業を成し遂げました。
アボット投手もまた、横山選手と同じように、**「たゆまぬ努力」と「決して言い訳にしない心の強さ」**で、自らの道を切り開きました。彼らの姿は、困難に立ち向かう人々に大きな勇気を与え続けています。
まとめ
甲子園という大舞台で躍動する横山選手の姿は、私たちに多くのことを教えてくれます。
彼は、自分の弱さを嘆くのではなく、それを乗り越えるための「努力」と「挑戦」を選択しました。
そして、その強い意志とたゆまぬ努力が、前監督も称賛する「次元の違う成長」を生み出し、甲子園という夢の舞台での活躍へと繋がりました。
参考記事:甲子園だけじゃない!沖縄尚学の強さは福岡にあり?タクシー運転手が驚いた共通点
彼の物語は、私たちに**「情熱と心の強さがあれば、どんな逆境も乗り越えられる」**という、力強いメッセージを伝えてくれるでしょう。