私的・弁当箱考 第十一回「弁当箱は、なぜあるのか」

2017.02.20

前回にお題を予告する方式にしなきゃよかった、じゃなきゃこんなに苦しくなかったのではないか、

いや、お題や締切があるからこそ、なんとか続いているのじゃないかと

締切をシレッと超えての第十一回です。

 

「なぜあるのか。」というお題。

弁当の文化的な発展とかは、調べれば諸説出てきますし、

幼稚園・保育所、学校がそういう決まりだからというのは理由じゃないです。

ここは「私的」な解釈で、いまだ家庭に弁当箱が存在している、その理由を考えてみます。

 

 

 小さくてかわいい物が好きという民族性

食事を運搬する部分に特化すれば、

安価で、取り扱いが楽な容器は、たくさん出回っています。

なのに何千円、何万円もかけて専用の弁当箱を用意するのか。

それは小さくてかわいい物を慈しむ気持ちが、日本人は人一倍強いからなのではないかと思います。

ね? かわいい

 

ためしにほら、こんな仕切りがモールドされた弁当箱を見ると・・・

 

「ふわ〜、かわいい・・。なにか盛りつけたい!」と思うでしょう?

便利そうね、とか、よく計算された造形だな、とか

これの型は何から算出してのカタチなのだろうかとか考えませんよね。

もう「かわいい」が第一印象から、脳内独占状態。

デコ弁はもちろんですが、風雅な弁当も、内容が貧相な弁当も

実はみな、小さくてかわいいもの大好きセンサーが脳を支配しているんだと思います。

 

 

弁当箱は箱ではない

 

そして、ここが肝なのですが、

基本的に、普段のお弁当は“家庭の食事を携行するもの”だということ。

弁当箱はBOXではなく食器なのです。

だからこそ、割高でも少し不便でもいいから、

自分が良いと思える器で食べたい(食べさせたい)のだと。

 

自分愛用の食器という感覚

 

そうそう、

食事のときに自分の席は決まっていても、“自分の箸が決まっている”民族って、そう多くはないでしょうね。そのあたりも日本人が弁当箱を愛でる理由なのだと思います。

 

さて、もう一年経つんですね。次回は最終回。

お題は「弁当箱のこれから」です。

私的・弁当箱考 第十回「弁当箱・年季の味わい」

2017.01.23

育てる道具

 

身体の型が付いて着慣れた服、

良く触れる部分が擦れて手指と馴染んだ道具が好きです。

 

古道具や中古のものも「誰が使っていたのか気持ち悪い」とはまったく思いません。

むしろ、どうしてこれは自分の手元にやってきたのかと

「この物が渡り歩いた物語」に想像を巡らし楽しむ性格です。

 

だから、人工的に作ったダメージ加工製品なんかは大嫌い。

てっとり早く使いこなしている風情を演出しようなんて浅はかな考えで、

そのもの自体に何の物語もないという軽薄さが鼻につくのです。

ほら、ウォッシュ加工したデニムの安っぽさなんか、誰でも一目でわかりますよね。

しかも2年もすると廃れる流行に沿ったダメージという情けなさ。

まともなデニムを着続ければ、ずっと長持ちするし、その人らしさも刻まれていくというのに。

 

 

 

日々の暮らしの物語を刻む弁当箱

 

弁当箱に対する考えも同じです。

 

うっかり付けた凹み、おかずの染み、あちこち擦れて表情の変わった部分。

それ全部「毎日の記録」と思うのです。

 

使わなくなった弁当箱を棚の奥に見つけて眺めてみる時

あんな嬉しいことがあった、あの時はしんどかった、元気でいるだろうか、申し訳なかった、

いろんな記憶をよみがえらせ「もの思い」をさせてくれる道具。

一食を運搬する道具が、いつか感情を揺さぶる思い出の小箱になる。

 

弁当の良さを研ぎすまして「粋の部分」を取り出すとしたら、

間違いなく、それになると思います。

 

 

 

柱の傷は一昨年の〜、という歌詞を分かるこどもって、今いるのかな。

持ち家でも、そんなことしない親ばかりなのかしら。

家の価値が下がるとか思うのかな。だとしたら寂しい。

 

次回更新は2月17日、

月イチ連載もあと2回、お題は「弁当箱は、なぜあるのか」です。